ヴァイオリニスト荒井英治がショスタコーヴィチの協奏曲を二つ演奏する、まさに「荒行」とでもいうべき企画。
まずは「第2番」の冒頭から、独奏者の方針は明らかだ。刺激やケレンとは対極の丁寧さで曲を扱うこと。ガリッとした雑音を排した弓使い、抑え目のヴィブラートを駆使して、どの音域でも驚くほど滑らかな音色をホールの空間に放ってゆく。かくしてこの偽古典的な音楽の、古典的であるがゆえのアンバランスが端正に描き出された。
高関健と名古屋フィルもまた同じく。音楽がいきりたつ箇所でも、響きの角にほのかな丸みがある(ホルン独奏のなんとまろやかだったこと!)。もちろん急速な第3楽章であろうと、「アレグロ」の表記に甘えて興奮に身を任せたりはしない。
よりドラマティックな「第1番」でもつくりは同様。わずかに第3楽章終わりのカデンツァで、一瞬のパッションが独奏者をとらえたように見えたけれども、急速な第4楽章に入るや否や、それを恥じるかのように、すっかり平静を取り戻している。見事な
興味深かったのは、こんなふうに演奏されると、ショスタコーヴィチの仕掛けたオーケストレーションの妙味が細部まで伝わってくること。ここでチューバを、ここでハープを、ここでコーラングレを重ねる意味がいちいちよく分かる。結果として浮かびあがってきたのは、ソ連という国家のなかで面従腹背を強いられた悲劇の作曲家ではなく、抜群の技術を持ったモダンで冷徹な作曲家の姿だった。
ちなみに両曲のあいだに挟まれた、シチェドリンの小曲は
――9日、名古屋・愛知県芸術劇場コンサートホール。